ブラインド・マッサージ
こんなに精神力を消耗する障害者ものの映画は初めてかもしれません。多くの当事者が全編にわたり俳優として登場する映画はかなり珍しいです。
視覚障害体験というとアイマスクを付けて歩くというのが多いのですが、あれはとても生温い体験なんだなと思いました。視界不明瞭で光の乱反射が激しく感じられ、体感できる世界が狭いというのが映像表現のみで感じられるのは画期的でした。全盲はもちろんのこと、弱視の人もかなり苦労されていることを実感しました。映像表現に関しては当事者と意見交換を重ねて作り上げたそうです。
性的なアクセシビリティの不健全さや、バリアフリーの理念が浸透していない中国での生活の過酷さを生々しく描いていて精神的につらい場面が多いのですが、国民性であるエモーショナルな心のぶつかり合いが何とも心地良いのです。
ラストの物悲しくも幸福を掴み取った最高の笑顔にノックアウトされました。
希望の国
原子力を描いた「生きものの記録」「ゴジラ」に肩を並べる名作です。
3.11から数年が経ち原発が再稼働したとある県で再び、震災が起き原発の爆発事故が発生するという話です。そういう設定にすることで、福島の原発事故がたった数年で過去のものになっていることに対する監督の怒りをより強く感じる作品になっています。また、被災地でロケしているので映像の説得力が圧倒的です。
結婚して間もない夫婦は街を去り、住みついた隣県の街で妊娠している妻はお腹の子供の健康を願うあまり、防護服を着て買い物に出掛けるようになります。これだけの準備をしてもおかしくないのにも関わらず、街の人々に笑いものにされてしまいます。危機感を持つことよりも街の人々と足並みを揃えるのが優先される風潮は、震災被害の風化を促進させる結果をもたらすということを示しているわけです。
「生きものの記録」では、家長が第五福竜丸事件に危機感を覚え、南米に移住すると言いだし、家族に拒絶された挙句の果てに精神科病棟に入れられてしまいます。
妊娠している妻や家長を狂人扱いして、何事もなかったように生活ができてしまう我々の神経の方がどうかしているのかもしれません。国に対する反感を持つのも当然ですが、国策に民意を反映させる選挙に行かないのが一番の問題です。
淵に立つ
この映画はキリスト教の考え方を知らないと理解できません。
監督の意図を理解するための肝心なラストシーンのオチを見届け終わらないうちに幕切れとなるためモヤモヤとする歯切れの悪さがある映画でした。
八坂(演・浅野忠信)は、善人を装い信仰を捨てさせるために試練を強要させる悪魔のような存在です。現代に置き換えたヨブ記のようなシナリオでした。つまり、ある一家が厳しい試練を目の当たりにするという話です。
最大の試練として、脳障害を持ってしまった娘を親は受容できるか?というのがあるのですが、障害者を絶望の象徴とするのは安易な発想だなと思いました。
ハリウッド映画の典型的な黒人像に対する反発の運動があったように、日本も典型的な障害者像の脱却を図る作品作りをしてほしいものです。黒人の運動が盛んになったのはスパイク・リー監督を始めとする黒人当事者が指導者的な役割を担ったというのが大きいのですが、芸術方面の障害者指導者的な役割を担える人はほとんどいないのでムーブメントが起きにくいのです。
西欧は芸術が社会に変革をもたらす文化があるのに対して、日本は芸術が過小評価される傾向があります。浮世絵に価値を見出したのは西洋人ですし。
セカンド文明開化を期待したいです。
ザ・コンサルタント
ボーンシリーズのマット・デイモン、リーチャーシリーズのトム・クルーズの二人はアクション映画のイメージが未だに定着してしないのですが、ベン・アフレックは生粋の肉体派なので打撃が本当に痛そうに見えて爽快感がありました。サヴァン症候群らしく計算能力が高いのですがそこはやはりベン・アフレックよりもマット・デイモンの方が似合うなと思いました。
サヴァン症候群といえば、「レインマン」「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」などの映画で描かれてきたように、争いを好まず音に過剰反応するのが定番です。高い計算能力を利用したロングレンジ射撃や敏感な防御反応をシラットに活かしたりとハンディキャップを武器に戦うアクション映画は珍しいです。