サバイバルファミリー
矢口史靖監督の新境地と言える見応えのある映画でした。わざとらしい笑いを入れずさりげなく笑わせるのが良いです。音楽がほとんど流れず映像がドキュメンタリータッチというのも良いですね。台詞もシンプルでこれぞ映像芸術というものだよなと改めて思わせてくれました。何度も観たくなるとは言えませんが、一見の価値ありです。
社会的、経済的、医療的な混乱を描いてテーマが増えすぎて訳分からなく映画よりも、電気が使えず困難に立ち向かう家族のみに焦点を当てているシンプルな映画の方が記憶には残ります。「ロッキー」だって恋人のために頑張る、ただそれだけの話なのに世界中の人が感動しているわけです。
それにしても、深津絵里は井戸端会議が似合わないですね。44歳に見えないです。
矢口史靖監督のように自身のオリジナル脚本で映画を任せられる監督は日本にはあまりいません。30代前半でオリジナル脚本の「ウォーターボーイズ」をロングランヒットさせ、シネコンの普及に一役買った尊敬すべき監督の一人です。
2016年の「君の名は。」「シン・ゴジラ」「湯を沸かすほどの愛」などのヒット作はオリジナル脚本が多かったのでオリジナル脚本映画が増えると嬉しいのですが、今年は漫画実写化が多いので、増えるとしたら来年以降になりそうです。オリジナル脚本映画が増えると嬉しい理由は映画監督の個性が映画に強く反映されるからです。黒澤明監督や園子温監督のように原作を使いながらも原作を超えた映画を作れる場合もあるので、小説や漫画の映画化も決して悪くはないのですが、個性を邪魔することが多いです。
「母と暮らせば」と「父と暮らせば」
「母と暮らせば」は、井上ひさしの戯曲「戦後命の三部作」の二部目にあたる映画です。一部目の「父と暮らせば」は黒木和雄監督が原田芳雄と宮沢りえ共演で映画化されています。「母と暮らせば」単品でも楽しめますが、「父と暮らせば」を観ておくと広島と長崎の戦後の暮らしの違いが分かりより一層深く楽しめるのではないでしょうか。
「父と暮らせば」は原田芳雄、宮沢りえ、浅野忠信しか出てこない舞台調のスタイリッシュな映画で原田芳雄と宮沢りえの才能がぶつかり合う様が圧倒的でした。広島といえば「仁義なき戦い」の熱いイメージがあり、激情ほとばしる演出は土地柄とシンクロしていて良かったです。広島のイメージは「この世界の片隅」でだいぶ変わりましたが。
それに対して、「母と暮らせば」は山田洋次監督節全開で新旧国民的アイドルの吉永小百合と二宮和也の共演に加え黒木華が出演しているため起伏が緩やかな映画でした。長崎は元々キリスト教の信仰が根強いので心穏やかな土地柄のイメージがあり山田洋次監督テイストが実にしっくり来ました。あくまでもイメージなので実際には違うのかもしれません。
両作は「父を亡くした娘」と「息子を亡くした母」という対になる設定になっているのですが、「息子を亡くした母」の方が明らかに切なく「母と暮らせば」のラストは胸が張り裂けるほど悲しくなりました。その代わりに「母をもっと大切にしないとな」という気持ちが溢れてきました。
それにしても吉永小百合の若い頃の美貌は髪形さえ変えれば現代でも通用しますね。
マグニフィセント・セブン
アメリカの現政権への皮肉が強烈な映画でした。
移民排除を突き付けてくる悪の親玉率いる軍隊に黒人とメキシコ人、東洋人、ネイティブアメリカン、戦争で心の傷を負った白人が戦いを挑むのです。悪い白人は全滅して移民たちは平和を取り戻すわけです。「荒野の七人」より国際色豊かになっていました。
親玉が女性によって倒されるのは明らかに現政権への皮肉ですよね。悪い白人に従うネイティブアメリカンが「同胞の恥だ」と移民を助けようとするネイティブアメリカンに言わながら倒されるのも印象的です。
西部劇を観るとアメリカ人は元々移民なのに移民排除が支持されるのが不思議で仕方がないです。
アイアムアヒーロー
走るゾンビとショッピングモール、戦う看護師と言ったら「ドーン・オブ・ザ・デッド(リメイク)」です。
「アイアムアヒーロー」は「ドーン・オブ・ザ・デッド(リメイク)」に人間を助ける半ゾンビのような存在が出現する「進撃の巨人」を始めとする少年漫画の要素を加えただけなのでシナリオ的な新鮮さはありませんね。邦画にしてはカーアクションに見応えがありました。
ゾンビ物は「ドーン・オブ・ザ・デッド(リメイク)」で全てやり尽した感じがあり、それを越えるのはなかなか難しいですね。
ジョージ・A・ロメロ監督のドーン・オブ・ザ・デッド(オリジナル) 邦題:ゾンビ」は痛烈な消費社会への風刺が込められていて単に娯楽映画といえないのが面白いです。ゾンビとは、世界のあらゆる食料を食い尽くす私たちのことなのです。
終の信託
尊厳死を法的な観点からわりと中立な立場で描いていて学べることは多かったです。尊厳死と安楽死の違いも分かりました。
個人的には、尊厳死のあり方はこれからも揺らぐことなく現行のままであった方がバランスが取れているのではないかという結論に至りました。規制緩和をしてあまりにも簡単に死を選べるのは恐ろしいですし、規制を強化して自由意思が奪われるのも腑に落ちません。個人でできることとして、緩和と強化どっちにも傾かない政党を選んでいくつもりです。
医療が進歩して多くの病気の苦痛が緩和される未来はそう遠くないでしょうから、尊厳死の問題が自然消滅することを願うばかりです。
患者があんなに苦しみを伴う安楽死を選ぶつもりがあったのか曖昧ですし、医師の安楽死に対する覚悟と知識があまりにもお粗末で医師と患者に全く感情移入できませんでした。どこまでを延命治療とするかの線引きへの言及がないのも納得できないです。重いテーマのわりにはストーリーに難がありました。
恋人たち
三人の人物のストーリーが同時に進み、最後まで大きく三人が絡むことはないのですが、共通する象徴的なアイテムが場面に表れることで、境遇は違えど心に抱える孤独は本質的には何も変わらないことが伝わってきます。三人の共通点を探すことがなかなか面白いです。
最初のうちは題名が的外れに思えるのですが、最後でスカイツリーをバックに題名が大写しになったときに恋人たちをこんな風に表現するのもありなのかと感心しました。恋に対する偏見のようなものを持っていたなという気付きがありました。
至らないほんの小さな気遣いが誤解を生むというか、憎しみの出発点は優しさなんですが、とは言え、優しさがあと数ミリでも相手に近づけば相手の救いになるという微妙な距離を巧みに表現しているのも素晴らしいです。空き缶の上の飴ちゃんの構図は感心しました。
個人的には池田良が演じる人の気持ちを逆なでするゲイがある意味で痛快なキャラで見応えがありました。骨折しているのに憎まれ口を叩くのが生意気でムカつきますが何だか憎めないのです。
虐殺器官
久しぶりにクリーンヒットなハードSFアニメでした。
攻殻機動隊のようなSFとは違い、アンドロイドやサイボーグなどの科学がメインではなく、化学と言語学がメインであるSFはかなり珍しいです。
ある言葉の並びつまりは文法を繰り返し耳にすると脳の働きが活性化する、もしくは感覚が麻痺することを研究していた言語学者が、ヒトラーの演説を分析することで虐殺することをいとわない人格を生み出す文法を発見してしまうというディストピアな話です。ミルグラム実験(アイヒマンテスト)に近いものがあり衝撃的でした。
サラエボ事件後、長く続いた分離主義・民族主義運動のムーブメントから起きたユーゴスラビア紛争の顛末、ハンナ・アーレントの著者「イエルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」を知っておくと、このアニメに描かれた恐ろしさがより理解できるのではないでしょうか。理解した上でのラストシーンは、絶句せざるを得ません。。
ただ、ミリタリーものとして観ると、リアリティーに欠ける点はいくつかありますが、細かい点はストーリー展開上の都合ということで目をつぶります。
フジテレビ系列「ノイタミナ」できわどいテーマの原作のアニメ化企画が通ったのが不思議です。「残響のテロㇽ」より格段にアブナイ橋を渡っている気がしました。