淵に立つ
この映画はキリスト教の考え方を知らないと理解できません。
監督の意図を理解するための肝心なラストシーンのオチを見届け終わらないうちに幕切れとなるためモヤモヤとする歯切れの悪さがある映画でした。
八坂(演・浅野忠信)は、善人を装い信仰を捨てさせるために試練を強要させる悪魔のような存在です。現代に置き換えたヨブ記のようなシナリオでした。つまり、ある一家が厳しい試練を目の当たりにするという話です。
最大の試練として、脳障害を持ってしまった娘を親は受容できるか?というのがあるのですが、障害者を絶望の象徴とするのは安易な発想だなと思いました。
ハリウッド映画の典型的な黒人像に対する反発の運動があったように、日本も典型的な障害者像の脱却を図る作品作りをしてほしいものです。黒人の運動が盛んになったのはスパイク・リー監督を始めとする黒人当事者が指導者的な役割を担ったというのが大きいのですが、芸術方面の障害者指導者的な役割を担える人はほとんどいないのでムーブメントが起きにくいのです。
西欧は芸術が社会に変革をもたらす文化があるのに対して、日本は芸術が過小評価される傾向があります。浮世絵に価値を見出したのは西洋人ですし。
セカンド文明開化を期待したいです。