当てにならない映画メモ

つまらない?見方を変えれば面白い

にっぽん泥棒物語

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福島の今置かれている状況を踏まえて国鉄東電に置き換えてみると奥深い内容でした。全編にわたり福島弁なので聞き取るのは大変でした。

疑わしきは罰せずの原則を無視して労働運動に参加した=国鉄に恨みがあるという理由で脱線事故の首謀者とされた男が元窃盗犯(三國連太郎)の証言により無罪になるという話なんですが、労働運動のある日は空き巣の好機であるとしか考えていない元窃盗犯の証言が裁判の行方を決めることになるということで元窃盗犯の心の揺れ動きがたまらなく滑稽で面白いです。

三國連太郎の「嘘つきは泥棒の始まり」という台詞=テーマのために泥棒を題材にするのは面白いし、嘘をつく泥棒は罰せされるのに国の嘘はまかり通ってしまうという理不尽を笑わせながら訴えかける手法に感心しました。今なら露骨な政府批判が問題になり上映禁止になるかも知れません。

わたしは、ダニエル・ブレイク

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障害が軽度であるとみなされて手当を受けられず、働こうにも医師には止められているので働けず一瞬にして貧困に陥る内部障害者が二児のシングルマザーや貧困ゆえに犯罪まがいの商売を始める若者と交流する映画であり、更に移民の問題も含まれておりテーマがかなり多いのですが台詞のうまさもありすんなりとメッセージが頭に響いてきました。下手なドキュメンタリーよりよっぽど心を動かす内容でした。無理やり泣かせる演出がないぶんドライな印象がありハリウッド型テンプレートに慣れている人は物足りなさを感じるかもしれません。でもこの物足りない感じが自分の生活における社会に対する無力感ややるさなさを煽り、かえって社会的な関心を増幅させるのです。

脇役がこれまでのケン・ローチ作品に出てきたキャラクターにどことなく似ていて、これまでの映画の要素が全て詰め込まれているような感じがしました。この映画で引退してしまうと思うと寂しいのですが、集大成にふさわしい映画でした。

山河ノスタルジア

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話自体はよくある話なんですが、歴史的建造物のすぐ横で重機が行き交っていたり、自然遺産の空撮など「ブレードランナー」のような迫力のある映像で驚きました。神の視点から世界を見下ろして、時代が変わっても家族の愛は普遍であるということを語りかけているような感覚になります。スケールの大きい映像の中で鳴り響く爆竹の音が印象的で、家族の愛は普遍で偉大なものだけれど、人間の人生なんて一瞬で終わる爆竹の音に等しいと言われているような気がしました。「愛は一瞬で永遠」というキリスト教仏教が共存している中国の価値観は日本の価値観に通じるものがあり、親近感を覚えました。爆竹の音に感動したのは初めてです。そして「火の鳥」が何故か思い浮かびました。

最近の中国や韓国の映画を観ると日本への歩み寄りが見られ、黒歴史を振り切り建設的に関係修復ができそうな予感がしますが、残念ながらアメリカの存在がそれを阻害している気がします。日本のマスコミのせいで中国の実態がよく分からなくなっているので、映画を観て隣国を理解するのが平和への一歩なのかもしれません。

哭声/コクソン

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サスペンスと思わせて理屈では理解しえない世界へ引きずり込む作風はまるでデヴィッド・リンチを思わせます。共通するのは「真実への過信」ではないかと思います。科学的根拠でのみ真実を見出し、それを絶対的な真実だと思いこむことは思考の可能性を閉じてしまうということを示しています。デヴィッド・リンチは無意識に潜むアイディアに信頼を置いており、彼の作品にはいつも思考の可能性を広げてもらっています。

思考の可能性を追及しているうちは、この作品の答えは出ることはないです。ある意味では思い込むことでしかこの作品の真実にはたどり着けないのですが、思い込みの真実にたどり着いた途端に思考の可能性を捨ててしまうことになるし、この作品の思考の可能性を捨ててしまった人達と同じ顛末を辿りそうで非常に恐ろしい気がします。マスコミの提示する真実を真に受けて思考の可能性を捨ててしまう傾向が日本人にもあるだけに尚更、恐ろしいです。

作りだされた真実を疑い、惑わされない信念を持たないと本当に怖いなという教訓的な映画です。作中、韓国人にとって反日教育により実体が掴みにくくなっている日本人が一方的に疑われていくのは、反日教育が思考の可能性を捨てさせる象徴だとナ・ホンジン監督が自国民を戒めているようにも思いました。日本人を色んな映画に出過ぎてそれこそ実体が掴めない國村準が演じているのがまた面白いです。

帰ってきたヒトラー

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まず自国の最大の汚点をさらけ出し感傷的にならず中立的な視点でヒトラーを見つめることができるドイツ人の寛容さに敬意を払いたいです。

日本は夏になるとおぞましい映像がテレビで流れ、戦争を二度と起こしてはならないような気持ちになります。ただ、銃撃戦を見たところで非日常的すぎて、自分と戦争が地続きでつながっていることを実感するのが非常に難しいです。非日常的なものを見てもそこから日常の問題として考えることができないのでアクションやムーブメントに繋がることはあり得ません。日常の問題として考えることができるのは、明日の晩御飯や節約術、デートプランに役に立つ情報で、総理大臣の言葉は銃撃戦並みの非日常感があります。

劇中では、ヒトラーがアホ番組を見てマスコミを利用しない政治家を罵倒します。つまり、危険なカリスマがいたとして、ここまで普及したメディアを利用したとすればあっという間に国民は洗脳される危険性があるということです。これは恐ろしいです。

そして、ヒトラーが一般人に国への不満はないか質問します。最初のうちはなかなか答えが出ないが、ヒトラーが質問を変えキーワードを与えた途端に憎悪が噴き出て国への不満を語りだすのです。そこに解決策を提示して信頼を勝ち取ります。憎悪を噴き出させる方法はトランプが得意とする分野です。

戦争を二度と起こしてはならないとそこで思考停止させないで、日本がなぜ戦争を起こしたのか考え反省しなければ、必ず歴史が繰り返されてしまうのです。

鉄くず拾いの物語

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医療保険未加入のために医療を拒否された当事者が主演を務めるほぼドキュメンタリー映画です。日本人がイメージする貧困とは桁違いの過酷で悲惨な貧困に驚きました。カルチャーショックですね。

ジョンQ」では、保険のランクが低くて子供が治療を受けられず、父親が医師や患者を人質に救急病棟を占拠して子供の治療を要求するわけですが、いかにもハリウッド映画的なやりすぎ感がありました。それに対して、この映画では親戚の保険証を借りるということを思いつくまで右往左往している姿にとても親しみを持ちました。

人権団体に病院に抗議することを勧められるが、事を大きくしたくないという気持ちから、頑なに断るのも共感できました。戦争後の国のあり方に不満を漏らしながらも国との争いには巻き込まれたくないという感情は日本人以外も持っているようです。

この自由な世界で

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単にシングルマザー奮闘記で終わるのかなと思いきや、子供の将来を思うあまり、不法入国者に仕事を斡旋する違法行為に手を染めていくのが何とも痛ましかったです。安く雇ってピンハネするわけです。自分の親や子供の学校の担任に育児放棄と責められている母を応援する息子の言葉には泣かされました。低所得であるのを個人の努力不足として責め、更には人格を否定して親子を孤立させる社会に対する怒りが沸き上がりました。

応援したいがやっていることは違法行為だということ、ラストでやってしまう行動は悶々とした感情を生み出しますが、バイクで疾走する逞しい母の姿が清々しく、悶々とした感情を解放してくれて、妙に気持ちが良かったです。

子育て、労働、移民の問題を一つのストーリーラインに無理なくスマートに詰め込んである中だるみを感じさせない見事な脚本でした。こういうシナリオを見ると大半の映画が駄作のように思えてしまいます。

このテーマに障がい者差別を取り込んだ「わたしは、ダニエル・ブレイク」を週末、観てきます。